私にはこんな友人がいます。彼女と「どうすれば人々がもっと幸せになれるか」「社会をより良くするために何ができるか」と話すと、彼女はいつも穏やかに微笑んでこう言います。「それならもう誰かがやっているし、みんな上手くやっているよ。」
この言葉を聞くたびに、私は深く考えさせられます。まるで彼女は、この世界がすでに十分に完成されていて、新しい挑戦や努力はもう必要ないと考えているかのように感じるのです。
この言葉を聞いて、私はかつて西洋の資本主義が発展していた時代のある見解を思い出しました。それは「この世のすべての発明はすでに成し遂げられた」というものでした。しかし、本当にそうだったのでしょうか?社会は本当にこれ以上の発展を必要としないのでしょうか?
歴史を振り返れば明らかです。世界の発展は決して「現状維持」や「満足」によって止まることはありませんでした。「これで十分だ」と思わなかった人々こそが、人類の進歩を切り開いてきたのです。現状に疑問を持ち、挑戦し続けた人々のおかげで、私たちは新たな境地を切り開き、未知の領域を探求し続けてきました。もし過去の人々が「もうこれでいい」と思っていたら、私たちの生活水準はまだ昔のままだったかもしれません。
彼女の考え方には少し寂しさを感じます。この「もう十分だ」という考え方は、一種の閉じた世界観にも思えるからです。すべてが完璧だと信じると、現実にある未解決の課題や可能性を見落としてしまいます。その満足感は一時的な安心感をもたらすかもしれませんが、同時に進化や成長への意欲を奪う危険性もはらんでいます。
しかし、私たちが現実と向き合えば、まだ数えきれないほどの課題や挑戦があり、それらが私たちの探求と創造を待ち望んでいることに気づくでしょう。
世界を愛するということは、今ある美しさを受け入れるだけでなく、未来の無限の可能性を信じることでもあります。その愛があるからこそ、私たちはこの世界の不完全さを認め、それを補うために力を尽くします。まだ達成されていない目標や未解決の謎こそが、社会を前進させる原動力となるのです。本当の愛とは、受容であり、包容であり、そして絶え間ない探求への信念です。
私はこの友人を心から愛しています。それが初対面の人であっても同じです。そして、すべての人々に対しても同じ愛を抱いています。そのため、私は彼女に「もう十分だ」という考えを手放して、もっと広い心でこの世界を見つめてほしいと願っています。未来には未知の喜びや発見が無限に広がっていること、社会は今も成長を続けていることを、どうか理解してほしいのです。
不完全な現実を受け入れることでこそ、新たな可能性が見えてきます。そして、それが私たちの人生をより豊かで、より充実したものにしてくれるのです。
親愛なる友よ、私はこれからもずっとあなたを愛し続けます。そして、あなたが私と一緒に、広い心と好奇心を持ってこの世界を受け入れてくれる日を心待ちにしています。
私たちが変化と成長を受け入れ、共により良い未来を築いていけますように。